親は尊敬に値するか?

掲示板でクリスチャン関係の話をしてきたので、気分がのっているうちに延ばし延ばしにしていたことを書こうと思います。(あぁ、そうやってやるべきことがまた後回しになっていく…。)


ある英語の掲示板で六月上旬に投稿されたことです。長い上にメンバー制の掲示板での投稿だったので、相手の許可を得るまでは転載しないのですが、彼の意見を要約すれば、親が子供を産むのは親の勝手、その後の親の行為が悪ければ、その親は尊敬に値しない。マタイ 10:34-36 にも書いてあるとおり、親に反発する (stood up) 事も大事だ、という感じです。(元ネタは高校生?対象の親についての話でした。子供がある程度育って、自分の考えを持っていることを前提として書いています。)


果たしてそうでしょうか?尊敬に値しない?反発するのには賛成です。でも反発するからといって尊敬に値しないとは限らないのではないでしょうか?たとえば、僕の場合、親に早く結婚しろ、孫を作れ、と今年になってから散々言われています。反発中です。すごく鬱陶しく、いやになってきますが、だからといって親を尊敬しない、ということは全然ありえない。僕のケースは違うのかもしれません。


じゃあ、たとえば親がひどいアル中で、暴力をふるって、そんなだったら?親が目の前で兄弟を殺したら?親は尊敬に値しないでしょうか?僕の考えでは産んでくれただけで感動ものです。世の中には中絶する人もいるのに、自分は生きている。確かに親のせいで自分が死んでしまったらそれまでですが、生きている限りは僕だったら感謝します。だって漫画が読めるんだもの(笑。まぁ、冗談はおいといて。


大変かもしれないけど、親がそんなだったら、逃げればいい。そういう子供を助ける機関だって(そういう子供が知っているかどうかは別として)多分あるだろうし。せっかくの命をエンジョイしてその機会をくれた両親に感謝・を尊敬したい。


彼があげた例、マタイ 10:34-36 にはこう書いてあります。「34 わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。 35 わたしは敵対させるために来たからである。人はその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。 36 こうして、自分の家族のものが敵となる。」 ただ、それは家族が「イエス・キリストと敵対した場合」のみの話ではないのでしょうか?その節の後に「37 私よりも父や母を愛するものは、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛するものも、わたしにはふさわしくない。」と書いてあるからです。


確かに十戒に書いてあるからといって「ロボットみたいに」それに従っているのは脳がないのかもしれません。ただ、聖書を読めば、そこに書いてあることは十戒に当てはまる、と思うのです。神様を差し置いて家族を愛する、ということは「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない(出エジプト記 20:3)」に反することだから、マタイ 10:34 がでてくる、と。


僕が神様を愛する以上の愛情を両親が求めない限り、どんなことがあっても両親のために祈っていきたいです。ま、うちは一族郎党(少なくても親の代までは)クリスチャンなので、その心配はないのですが。


うーん、なんか支離滅裂。