聖書は結婚や結婚生活についてどう語っているか

>でも聖書は結婚を推奨していませんか?
こうやって書いた背景にはアダムとイブが頭にありました。僕にとって子供を作る、という行為は結婚している、ということが前提となっているので、創世記 1:28 に書かれてある『神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。」』の時点でアダムとイブは神様から、結婚した、という祝福が与えられたと考えています。極端に言えば「人が一人でいるのは良くない。彼に合う助けるものを造ろう」という時点で神様は「結婚」を推奨しているのだと思います。ただ、この「結婚」は、もちろん神さまの御前での結婚であり、人間が作った法律にそってではないと思います。もちろん、結婚するならば、神様だけではなく、法律も含めて、周りの人みんなに認めてほしい・認められる結婚をしたいですが。


>マルコ12:25
>終末においては、結婚は意味を失うのです。
それはそうではないでしょうか?イエス・キリストにとっての『結婚』とは、人間が信仰に入ることをさしていると思います。神様、或いはイエス・キリストと霊によって結ばれるのなら、人と人の婚姻関係はそこまで意味はないのではないでしょうか?

  • ヨハネ 3:29 『花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。』
  • マタイ 25:1-13 (長いので、お手元の聖書をお読みください(笑。)

さらに、旧約、ホセア書でも同じようなことが描かれていると思います。
創世記のことも含めていうなれば、死後、神様のもとに行き神様のそばにいるのだったら、配偶者は要らないのでは。ひとまず「死後の世界」にはいるとまたほかのトピックが作れそうなくらい討論がきっと起こると思うので避けます。デリケートなトピックですし。


聖書に書かれてある二種類の創世について。聖研のノートを英語で取った自分が恨めしいです。英語のほうが画数が少なくて早く書けるのですが、いざ読むとなったら五倍ぐらい遅い。むむむ。記憶をたどって書きます。


創世記 1:27 では、確かに「男と女に創造された」とかいてありますが、その文だけでは男女を同時に創ったのか、それとも男を最初に創った、それでそれから女を後に創ったのかわからなくはないですか?「男を創造された。(それから)女を創造された。」というのもあり得るわけです。創世記二章は一章の補足的役割を果たしているのではないでしょうか?


(蛇足ですが、幼いころ創世記とダーウィンの進化論の理由付けとして、「神様がアメーバとかを最初に作って、それが次第に発達してそれぞれの生き物になり、最初に人間になったのがアダム」とこじつけようとした経緯があります。サルからアダムとイブが創られた経緯には、まだ自分に理解できない何かがある、と。 :D )


また、男女の価値観というか、優越性というかは、創世記三章にすでにあると思われます。

  • 創世記 3:16 『おまえは男を求め 彼はおまえを支配する。』

かといって、女は男に勝る、といっているのではなく、ノンクリスチャンにとってはいいわけ、と聞こえるかもしれませんが、何か納得するような理由があったことを覚えています。でもそれについて勉強したのが数年前のことですので、はっきり覚えていません。